北海道:サツゲキ(12月6日~)
青森県:青森松竹アムゼ(近日公開)
東京都:ヒューマントラストシネマ有楽町(12月6日~)
東京都:池袋シネマ・ロサ(12月6日~)
東京都:アップリンク吉祥寺(12月6日~)
東京都:MOVIX昭島(12月6日~)
栃木県:小山シネマロブレ(12月6日~)
栃木県:宇都宮ヒカリ座(12月20日~)
群馬県:シネマテークたかさき(近日公開)
富山県:ほとり座(近日公開)
新潟県:高田世界館(近日公開)
愛知県:ミッドランドスクエアシネマ(12月6日~)
愛知県:ミッドランドシネマ名古屋空港(12月6日~)
大阪府:なんばパークスシネマ(12月6日~)
大阪府:テアトル梅田(12月6日~)
大阪府:MOVIX堺(12月6日~)
京都府:アップリンク京都(12月27日~)
兵庫県:kino cinema神戸国際(12月20日~)
岡山県:シネマ・クレール(近日公開)
広島県:横川シネマ(近日公開)
熊本県:Denkikan(近日公開)
大分県:別府ブルーバード劇場(近日公開)
鹿児島県:ガーデンズシネマ(12月6日~)
沖縄県:桜坂劇場(近日公開)
沖縄県:ミュージックタウン音市場(近日公開)
誰もが知る伝説のロックバンド、ザ・ビートルズ。ビートルズがリヴァプール出身なのは周知の事実だが、生前ジョン・レノンは、「僕らはリヴァプールで生まれ、ハンブルクで育った」と語っていた。1960年のハンブルク初訪問の経緯から、1963年の「プリーズ・プリーズ・ミー」のヒットを経て、1966年の6回目の訪問までを、元メンバーと関係者の証言やアーカイブ映像と音声、アニメーションなどを使って、まるで昨日のことかのように生き生きと蘇らせる。
ポール・マッカートニーは、「手錠で繋がれ、囚人のように飛行機に乗せられた」という、強制送還となった事件の経緯を説明。脱退したスチュアート・サトクリフと付き合ったアストリッド・キルヒヘアは、初めてビートルズの演奏を見た経緯から、スチュアートが亡くなったのを知った際のジョン、ポール、ピートの三者三様のリアクションを詳細に語る。リトル・リチャードは、「ジョン・レノンのような人には会ったことがない」という楽屋でのエピソードを披露。ビートルズのレコードプロデューサーだったジョージ・マーティンは、ピート・ベストをリンゴ・スターに変えた理由を告白し、リバプールの「キャヴァーン」でのライブまでピートが外されたと知らなかった当時からのファンは、「ピート、フォーエバー。リンゴ、ネバー」と叫んだという当時の様子を回想する。
後のインタビューでジョンは「ハンブルクではステージで寝たり、食べたり、悪態をついたりして、全くの“自然体”だった」と話すが、その後、「キャヴァーン」でのファンクラブナイトに参加したファンは、「ビートルズは全身レザーで登場したが、ワンセットが終わったら、スーツに着替え、その後レザー姿は見なくなった」と転換期を目の前で目撃。
およそ6年に渡るビートルズの初期を、時系列で追体験するドキュメンタリーが、2024年、約60年の時を経て、完成した。
『ジョン・レノン 音楽で世界を変えた男の真実』のロジャー・アプルトン監督の最新作が世界初公開。
1960年。若者に何か新しいものを提供したいと思っていたドイツ・ハンブルクのクラブオーナーたちは、水夫からイギリスではアメリカン・スタイルのロックンロールが演奏されていると聞き、アメリカより安く来られるイギリスからアーティストを招く。8月15日、ビートルズは、列車代や船代も出せず、ミニバスでハンブルクを初訪問。クラブで演奏するかと思いきや、ストリップクラブ「インドラ」で演奏することに。隣の映画館でベッドも照明も暖房もないところにユニオンジャックの旗を被って寝て過ごす。全員10代で、最年少のジョージ・ハリスンはわずか17歳で、世界最大の赤線地区の真ん中で演奏し、寝泊まりすることになる。ステージでは、人を引き付けるコツを徐々に学び、スタイルが確立。まさに、ハンブルクは学び場となった。
「インドラ」で最初は無名だったが、1〜2週間後には混み合い、6週間後には近所からの苦情で、ライブ演奏が禁止に。やっと「カイザーケラー」で演奏できることになる。その後、トニー・シェリダン付きのバンドとして「トップテン」で演奏したいと申し出ると、「カイザーケラー」のマネージャーのコシュミーダーに「そうしたらドイツでは二度と働けなくしてやる」と脅される。メンバーは「あんたもね」と返すが、「トップテン」で演奏した初日にコシュミーダーは実際に警察にタレこみ、ポールとピートは起訴され、イギリスに強制送還される。
1962年4月、ハンブルクの「スター・クラブ」のオープニングに呼ばれたビートルズだが、初めて飛行機に乗ってハンブルクに行くと、空港で待っていたのは、スチュアート・サトクリフの恋人・アストリッドのみだった。元メンバーの死を知るメンバーたち。8月には、ドラマーのピート・ベストが外され、リンゴ・スターに変わる。11月と12月にハンブルクを再訪し、大晦日を最後に「スター・クラブ」での公演を終えると、11日後に発売された「プリーズ・プリーズ・ミー」がイギリスで大ヒット。当時を知る者は口を揃えて言う。「ビートルズを作ったのはリヴァプールではない」と。
監督:ロジャー・アプルトン
出演:ピート・ベスト、アラン・ウィリアムズ他
2024年 / イギリス / 60分 / カラー / 1.85:1 / 5.1ch / 英語 / 原題『No Hamburg No Beatles』 /
字幕監修:藤本国彦 / 配給:NEGA
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